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日本人の心
今話題の、黒人の演歌歌手、ジェロさんと、
ウクライナのバンデゥーラ奏者で歌手の、
ナターシャ・グジーさんをTVで見ました。

ジェロさんは、お祖母さんが日本人なので、
正確にはクォーターですが、上手な日本語で、
きれいな声で演歌を歌い、プロモーションビデオでは、
ヒップホップを踊っていらっしゃいました。

演歌とヒップホップがこんなにもマッチするとは・・・!!

「徹子の部屋」で、流暢な日本語を聞くと、
敬語もとても上手に使っていらっしゃいますし、外国人が日本語
を話す時の独特の訛りはまったくなくて、耳で聞いていたら、
普通の演歌歌手がゲストなのかと思うほどでした。

演歌は、日本独特の歌だと言われているけれど、
歌詞で歌われている世界観は、万国共通の、人間としての
感情なのだから、共鳴して歌えると言う様なことを
おっしゃっていて、私はすっかりジェロさんのファンになりました!!

ウクライナのナターシャさんは、日本語検定で1級を取ったと
いうことで、これまた上手な日本語で、敬語ももちろん完璧でした。

生粋の日本人でも、敬語を使えない人が大勢いるのは、
本当に恥ずかしいことだと思います。

相手を敬う気持ちがあれば、自然に敬語になるのであって、
とってつけたようにしか敬語を話せないと言うのは、心が貧しいと
思います。

親子、兄弟、夫婦、友達の間でも、お互いを尊敬し合っていれば、
決してぞんざいな言葉にはならないはずで、日本語の美しさも
敬語があるからこそ成り立っている部分が大きいと思います。

ナターシャさんも、日本語で、日本の歌を、感情を込めて、美しい
バンデゥーラの伴奏にのせて、きれいな声で歌ってくださいました。

日本人も、イタリア語や、ドイツ語や、英語で歌うことは多いですが、
ちゃんと、歌詞の本当の深い感情をわかって歌っているのかと
聞かれると、疑問符が付きます。

テクニックでうまく歌おうとするのではなく、美声を聞かせようと
するのではなく、歌の心を伝えようとするのは、万国共通の
歌に対する想いなのですね。


【2008/04/10 22:22 】 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)
新学期
いよいよ新学年の新学期となりました。

春期講習も、連日長時間でしたのに、みんなよく頑張ってくださいました。

こうした努力の積み重ねが、きっと良い結果をもたらしてくれるだろうと
思います。

春期講習は、本当は一番伸びるチャンスなのですが、冬休みよりは
長いといっても、なかなかまとまってたくさん時間が取れないので、
少人数の方にしか提供出来ず、残念でした。

夏休みは、多くの方を対象に、学力のレベルアップをはかるプログラム
を作成したいと考えております。

最近、フィンランド・メソッドの本が書店にたくさん並んでいますが、
流行やブームとしてフィンランドのやり方を取り入れるのではなく、
その国や、環境、人に合ったやり方で勉強を教えるのが一番良いと
思います。

もちろん良いところを、積極的に取り入れることは大賛成ですが。

濱田メソッドというのも、実はあるのです。

長年培ってきたノーハウももちろんですが、たくさんの生徒さんの
学習記録のデータがあり、それを分析して、濱田塾独自のオリジナル
メソッドが出来上がっています。
それは、おしきせのマニュアルではありません。

どうすれば、勉強が楽しく、苦手なものではなくなるか…ということを
生徒さん一人一人の状況に応じて考え、ほとんど一日の大半を
費やして、毎日の学習計画書を作るところから始まります。

「物づくり」と同じです。
細かい作業、丹念な準備が、大きな成果につながります。

そういう意味では、職人です。

また明日から、新学年のスタートとともに、みんなと頑張ろうと
思います。
【2008/04/08 00:37 】 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)
今年は、三月に寒い時期が続き、やっと夙川の桜も満開になりました。

夙川の桜は全国でも有名で、さくら夙川駅とJRが名付けただけあって、
この時期にお花見に訪れる人で、川沿いの道は心斎橋かと見紛うほどの混雑、
違法駐車、渋滞・・・毎日の宴会で、BGMはうるさい上、嬌声はあがるし、
近隣の住民にとっては、迷惑以外のなにものでもありません。

いつからお花見は宴会になったの?と聞かれますが、平安朝の昔から、
お花見、お月見・・・などの折には、「遊び」と称する管弦の催し、宴があったそうなので、
宴会は仕方がないのかもしれませんが、昔と違って、住宅街には、普段どおりの毎日の
生活を営んでいる人がたくさんいるのですから、自分達が楽しければ何をしてもいいと
言うようなお花見のあり方には、疑問があります。

お手洗いを貸して欲しいとピンポンを押されたり、ごみや空き缶を庭に投げ込まれたり
することもあります。

兼好法師が「花は盛りに、月は隈なきを見るものかは」と言っていますが、本居宣長は、
それは造り雅であると反論しています。

昭和・平成を生きる凡庸な私は、桜の満開もきれいだと思いますし、つぼみの頃も風情
があると思います。

日本には、古典文学における美意識の主流は、もののあはれ・幽玄・わび・さびという、
いわば「余情」を重んじるものにあるようですが、色彩のバリエーションの多さは、
十二単を見るだけでもわかります。

先日、山本寛斎さんが、虎屋の羊羹をプロデュースなさって、それは、萌黄とか、蘇芳とか、
あさぎとか、にびいろとか・・・平安朝の襲の色目が多様なことから思いついて、日本独自の
伝統の色はこんなにもきれいだったのだから、羊羹に再現してみようという意図のようです。

TVで見ただけですが、玉手箱を開けたかのようにきれいな羊羹でした。

桜も、もっと風流に、品よく眺めないと、せっかくの美しさが半減してしまします。

お花を愛でる心を失って、ただのイベントと化しているだけのようで、心が痛む季節です。

桜


桜2


桜3
【2008/04/05 15:00 】 | 日記 | トラックバック(0)
'The Daffodils' William Wordsworth の詩
家の庭に、黄色い水仙が咲いていました。 毎年、この水仙を眺めると、学生時代に習った、 William Wordsworth の'The Daffodils' という詩を 思い出します。 自分の中に、学生時代の英文学のPoetryの授業がよみがえるのは、 この水仙を見る時くらいのものですが、同じ水仙を見ても、 日本人の感性とは違うものなんだなあ~と思った記憶があります。 今日は、寒い雨の日曜日で、昨日は賑わった桜のお花見も、 訪れる人はまばらでした。 水仙は、桜に主役を譲るかのように、しおれかかってきています。 寒いけれど、春本番で、また夙川のお花見の喧騒がはじまるのでしょう。 hana.jpg
【2008/03/30 23:35 】 | 日記 | コメント(14) | トラックバック(0)
沈丁花
今日は、春のお彼岸だというのに、昨日より春の嵐が吹き荒れて、 とても寒い一日でした。 「暑さ寒さも彼岸まで」とは言うものの、春は、桜が咲く頃の “花冷え”の時期になっても、なかなか暖かくはならないようです。 でも、そうは言っても、自然は確かに春の息吹を感じさせてくれるようで、 今年も、随分前から、沈丁花の良い香りが、心をなごませてくれます。 沈丁花
【2008/03/20 23:57 】 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)
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