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「有難う」と"Thank you." は違う!
筑波大学名誉教授の、村上和雄先生の公開講座を
拝聴する機会がありました。

人間は、35億年前の、初めての生命体からの進化の
過程を母の胎内で再現してからこの世に生まれてくるので、
「生まれる」とか、「生きる」ということを軽々しく言えたものでは
ない。
遺伝子の研究が進んでくると、人間は、60兆という数の
細胞で出来ている中に、30億の遺伝子情報が詰まっており、
それらが調和を保ちながら生命の営みを行っているので、
研究を極めればきわめるほど、生命の不思議に気付き、
「サムシング・グレート」なものによる贈り物だとしか
考えられない。

と、村上先生はおっしゃっています。

「サムシング・グレート」というのは、宗教的な言葉で語れば、
「創造主」ということになるのだろうと思います。

私は、世界中にたくさんの宗教があることを考えてみても、
人間は、やはり、太古から、自分達の力の及ばないものの
存在を認め、それを、それぞれの「神」として崇め奉って
来たのだと思います。

最近の、人の命を軽々しく扱う、残虐な事件が多発することを
考えると、もっと「サムシング・グレート」につぃて、人は考えなければ
ならないと思います。

最近の生徒さんを見ていて気になるのは、
「神様なんていませんよ」
「霊なんていませんよ」
「迷信ですよ」
と、すべてのことを否定する人が多くなっていることです。

迷信の中にも、先人の自然に対する畏敬の念が表れている
ものも、数多くありますし、無用な怪談めいた霊は否定しても、
魂が生き続けているからこそ、親や先祖に感謝しなければ
ならないことも数多くあります。

それらを、ひっくるめて、「非科学的なこと」と一刀両断に切り捨てる
ことは、如何なものかと思ってしまいます。

村上先生が、講演の終わりに、
「日本語の『有難う』と英語の"Thank You."は違う。
人間は、あり得ないぐらいの確率でこの世に生まれてくるのだから、
有ることが難しいという意味で『有難う』と言うのだ。
Thank You.とは、言葉の重みが違う。
日本人は、『もったいない』『恐れ入ります』『頂きます』
など、自然に『サムシング・グレート』に対して、慎み敬う気持ち
を表している。心の文化という面で、日本人は、リーダー的存在と
して、期待されている。」
とおっしゃっていました。

6/22に薬師寺で行われた、「薬師寺21世紀まほろば塾」でも、
生田神社の、加藤宮司が、宗教を信じていないという日本人が、
初詣でやお盆のお墓参りをしていることくぉ指摘し、
「日本人には目に見えないものに対する信仰や祈りがある」と
おっしゃったそうです。(読売新聞6/23)

日本人に本来備わっているはずの、当たり前の礼儀や挨拶の
言葉を、おろそかにした結果、今日の残虐な事件の多発や、
個人主義の横行する世の中になったのなら、もう一度、我々の
口にする「有難う」の言葉の重みだけでも、認識し直したいものです。
【2008/06/25 13:35 】 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)
塾の力量
早いもので、ついこの間、新学期が始まったと思っていたら、
もうすぐ各学校の期末テストがあり、夏休みを迎えようと
しています。

二期制の学校では、前期中間テストの結果が返ってきました。

成績は、勉強を頑張った結果としてとらえると、点数の良し悪し
に一喜一憂しがちですが、自分が理解できたところと、まだ充分
理解しきれていないところのあぶり出しだと捉えると、これから
やるべきことが、客観的に示されて、良い指標になったことと思います。

生徒さんを塾で教える側から見ると、テストの結果だけにとらわれる
のではなく、出来なかったところを、完全に自分のものにしてから、
次へ進むための、良い教材となります。

勉強は、短期間努力したからといって、すぐに成果が表れるものでは
ありません。そういうものは、まやかしの習熟なので、本当に
こつこつとした、日々の努力が実って実力がつくのは、もっともっと
先になるはずです。

一人一人の習熟の速さの程度は、当然違いますので、その人に合った
方法で、指導していきますが、そこが、教師の腕の見せ所です。


先日、「プロフェッショナル」という番組で、茶師の前田文男さんが、
とてもいいことをおっしゃっていました。

短期間に成果を出せと言われたら、自分にはとても出来なかったかも
しれないが、勉強したり、経験したりする時間を与えてもらったから、
今の自分があるとおっしゃるのです。

お茶も、伸びる目をどれくらい持っているかを、見極めて仕入れ、
その時点で良いお茶でなくても、手をかけることによって、
どれぐらい伸びるのか、その潜在的な力を見抜く必要があるそうです。

自分の問屋に来たお茶は、子供と同じなので、決して見捨てることなく、
色々工夫して、時間をかけ、手をかけて、必ず良いものにして、
世の中に送り出すのだとおっしゃっていました。

そういう意味では、お子様をお預かりする塾も同じで、子供は、必ず
伸びる力を持っているのですから、それを時間がかかっても、最大限
引き出すことが仕事だと自負しております。

人に教えるには、まず、自分自身を更に磨いて、謙虚になって、また
次を目指そうと思っています。

【2008/06/21 23:21 】 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)
英語そろばん
先日、英語そろばんの番組を見ました。

そろばんは、位取りが、英語の数の数え方と同じ
なので、0が4個で桁が上がる、日本式の数の
位取りより、楽に出来るそうです。

日本式の数え方は、どうして、0が4個で桁が
変わるのでしょうか…。

インド式数学も、学校で習う算数よりも、簡単に
暗算できる場合があったり…すべて、
「こう考えなければならない」というように
型や公式に当てはめて教えないで、
○○式と呼ばれなくても、一人一人の
独自のやり方を認めて、生徒の自主的な学習意欲を
高める方法を、私も考え出そうと思っています。
【2008/05/17 19:54 】 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)
「源氏物語」千年紀
今年は、「源氏物語」が書かれてから、千年だそうで、
各地で色々なイベントや講演が行われているようです。

私は、仕事柄、「源氏物語」を教材にして、「古文」を教える
機会がたびたびありますが、読めば読むほど、よく平安時代
に、このような大作が、女性によって書かれたものだと感心
します。

瀬戸内寂聴さんが、世界文化遺産に登録された、日本の
誇る「源氏物語」を、日本人なら誰でも読めるようにと、
現代語訳をお出しになってから、十二年だそうです。

確かに、イギリス人なら、誰でもシェークスピアを知っている
ように、日本人が、「源氏物語」を知っているかというと、
残念ながら、知らない人の方が多い気がします。

日本人は、あまりにも自国の文化に対して無知過ぎると
思います。

日本に憧れ、日本文化に憧れて研究している外国人が
多いのに、日本史さえよく知らない子供も増えています。

もちろん、外国に目を向けなければいけないのも本当ですが、
自国のことをよく知らないままで、外国文化や外国文学を
学ぶのは、ちょっと筋が違う気がします。

「源氏物語」を原文で読むのは、骨が折れますが、実際の
微妙な言葉遣いや、言い回しなど、物語の機微を味わう
には、やはり現代語訳より原文で読むのをおすすめします。
【2008/05/04 23:39 】 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)
NHK「知るを楽しむ」~カラヤン~を見て
私の両親は、無類の音楽好きで、両親の兄弟姉妹も音楽好き
なので、私たち姉妹も、私達姉妹の子供達も、これまた音楽好き
になりました。

私は、音楽なら、クラシックでも、ポップスでも、邦楽でも大体なんでも
好きですが、とりわけオーケストラが好きです。

その原点は、カラヤンの指揮を生で見たことにあります。

自分のお小遣いで買った、最初のLPレコードは
カラヤンの、ベルリンフィルの「運命・未完成」でした。

それ以来、カラヤンの指揮の他の曲は、もちろん大好きですが、
「運命」が大好きになり、色々な指揮者の「運命」を聞き比べて
います。

一番最近に聞いたのは、佐渡裕さんの指揮で、兵庫芸術センターの
定期演奏会でした。

♪「ジャジャジャジャ~ン」というあの始まりは、あまりにも有名で、
色々にデフォルメされ、本当の「運命」の良さが、伝わりにくく
なってしまっているのが残念です。

♪「ジャ~ジャジャジャジャジャ~ジャジャジャジャ・・・」と始まる
アンドリュー・ロイド・ウェバーの「オペラ座の怪人」も、始まりの
部分だけが、様々にデフォルメされて、独り歩きしてしまって
いますが、ミュージカル「オペラ座の怪人」の中の曲は、どれも
珠玉の名曲揃いで、「運命」や、「オペラ座の怪人」が、お笑いの
コントなどに使われると、ファンとしてはがっかりしてしまいます。

話がそれましたが、カラヤンは、オーケストラをレコードに収める
ことを、最初に精力的にやった人だそうです。

考えてみると、音楽は、演劇と同じで、その時その時で、お客さんの
反応や、ホールの設備、演奏者の状態などに大きく左右されるもので、
それこそが、生で鑑賞する醍醐味なのですが、広くたくさんの人に
安定した演奏を聴いてもらうには、レコードやCDに録音するのが
より良い方法な訳です。

今では、パソコンで、ダウンロードできるようになったわけですから、
録音された音楽を鑑賞するというのも、音楽鑑賞の一つの道です。

指揮者の表情は、本来は、オーケストラに向いているため、客席
からは見えないものですし、指揮された音楽を聴きに行っている
わけですから、指揮者の七変化みたいな表情に関心が行くのは
邪道だと思いますが、レコードよりさらに進んで、TVカメラに写される
と、指揮者の、まるで役者のような顔や身体の表情がUPになるので、
別の楽しみ方が出来ます。

カラヤンは、私の勝手な思い込みで、実に冷静沈着に、紳士的な
指揮振りだったと思っていましたが、映像に残っているドキュメント
では、実に様々な表情で、情熱的にタクトを振っていらっしゃいました。

情熱的と言えば、佐渡裕さんも、汗をしたたらせて、台の上で
飛び上がって指揮をなさいますし、大阪フィルの、大植英治さんも、
まるで役者さんのお芝居をみているかのような表情や身振りで、
音楽より指揮者に目がいってしまいます。

それが、オーケストラを聴くことの邪道と言われれば、そうかも
しれませんが…。

こういう事を書いていたら、またコンサートに行きたくなって来ました。

やはり、情熱的な佐渡さんや大植さんの指揮のチケットは、即完売
になるそうです。

【2008/04/16 13:39 】 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)
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