今年は、三月に寒い時期が続き、やっと夙川の桜も満開になりました。
夙川の桜は全国でも有名で、さくら夙川駅とJRが名付けただけあって、
この時期にお花見に訪れる人で、川沿いの道は心斎橋かと見紛うほどの混雑、
違法駐車、渋滞・・・毎日の宴会で、BGMはうるさい上、嬌声はあがるし、
近隣の住民にとっては、迷惑以外のなにものでもありません。
いつからお花見は宴会になったの?と聞かれますが、平安朝の昔から、
お花見、お月見・・・などの折には、「遊び」と称する管弦の催し、宴があったそうなので、
宴会は仕方がないのかもしれませんが、昔と違って、住宅街には、普段どおりの毎日の
生活を営んでいる人がたくさんいるのですから、自分達が楽しければ何をしてもいいと
言うようなお花見のあり方には、疑問があります。
お手洗いを貸して欲しいとピンポンを押されたり、ごみや空き缶を庭に投げ込まれたり
することもあります。
兼好法師が「花は盛りに、月は隈なきを見るものかは」と言っていますが、本居宣長は、
それは造り雅であると反論しています。
昭和・平成を生きる凡庸な私は、桜の満開もきれいだと思いますし、つぼみの頃も風情
があると思います。
日本には、古典文学における美意識の主流は、もののあはれ・幽玄・わび・さびという、
いわば「余情」を重んじるものにあるようですが、色彩のバリエーションの多さは、
十二単を見るだけでもわかります。
先日、山本寛斎さんが、虎屋の羊羹をプロデュースなさって、それは、萌黄とか、蘇芳とか、
あさぎとか、にびいろとか・・・平安朝の襲の色目が多様なことから思いついて、日本独自の
伝統の色はこんなにもきれいだったのだから、羊羹に再現してみようという意図のようです。
TVで見ただけですが、玉手箱を開けたかのようにきれいな羊羹でした。
桜も、もっと風流に、品よく眺めないと、せっかくの美しさが半減してしまします。
お花を愛でる心を失って、ただのイベントと化しているだけのようで、心が痛む季節です。


