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NHK「知るを楽しむ」~カラヤン~を見て
私の両親は、無類の音楽好きで、両親の兄弟姉妹も音楽好き
なので、私たち姉妹も、私達姉妹の子供達も、これまた音楽好き
になりました。

私は、音楽なら、クラシックでも、ポップスでも、邦楽でも大体なんでも
好きですが、とりわけオーケストラが好きです。

その原点は、カラヤンの指揮を生で見たことにあります。

自分のお小遣いで買った、最初のLPレコードは
カラヤンの、ベルリンフィルの「運命・未完成」でした。

それ以来、カラヤンの指揮の他の曲は、もちろん大好きですが、
「運命」が大好きになり、色々な指揮者の「運命」を聞き比べて
います。

一番最近に聞いたのは、佐渡裕さんの指揮で、兵庫芸術センターの
定期演奏会でした。

♪「ジャジャジャジャ~ン」というあの始まりは、あまりにも有名で、
色々にデフォルメされ、本当の「運命」の良さが、伝わりにくく
なってしまっているのが残念です。

♪「ジャ~ジャジャジャジャジャ~ジャジャジャジャ・・・」と始まる
アンドリュー・ロイド・ウェバーの「オペラ座の怪人」も、始まりの
部分だけが、様々にデフォルメされて、独り歩きしてしまって
いますが、ミュージカル「オペラ座の怪人」の中の曲は、どれも
珠玉の名曲揃いで、「運命」や、「オペラ座の怪人」が、お笑いの
コントなどに使われると、ファンとしてはがっかりしてしまいます。

話がそれましたが、カラヤンは、オーケストラをレコードに収める
ことを、最初に精力的にやった人だそうです。

考えてみると、音楽は、演劇と同じで、その時その時で、お客さんの
反応や、ホールの設備、演奏者の状態などに大きく左右されるもので、
それこそが、生で鑑賞する醍醐味なのですが、広くたくさんの人に
安定した演奏を聴いてもらうには、レコードやCDに録音するのが
より良い方法な訳です。

今では、パソコンで、ダウンロードできるようになったわけですから、
録音された音楽を鑑賞するというのも、音楽鑑賞の一つの道です。

指揮者の表情は、本来は、オーケストラに向いているため、客席
からは見えないものですし、指揮された音楽を聴きに行っている
わけですから、指揮者の七変化みたいな表情に関心が行くのは
邪道だと思いますが、レコードよりさらに進んで、TVカメラに写される
と、指揮者の、まるで役者のような顔や身体の表情がUPになるので、
別の楽しみ方が出来ます。

カラヤンは、私の勝手な思い込みで、実に冷静沈着に、紳士的な
指揮振りだったと思っていましたが、映像に残っているドキュメント
では、実に様々な表情で、情熱的にタクトを振っていらっしゃいました。

情熱的と言えば、佐渡裕さんも、汗をしたたらせて、台の上で
飛び上がって指揮をなさいますし、大阪フィルの、大植英治さんも、
まるで役者さんのお芝居をみているかのような表情や身振りで、
音楽より指揮者に目がいってしまいます。

それが、オーケストラを聴くことの邪道と言われれば、そうかも
しれませんが…。

こういう事を書いていたら、またコンサートに行きたくなって来ました。

やはり、情熱的な佐渡さんや大植さんの指揮のチケットは、即完売
になるそうです。

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【2008/04/16 13:39 】 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)
日本人の心
今話題の、黒人の演歌歌手、ジェロさんと、
ウクライナのバンデゥーラ奏者で歌手の、
ナターシャ・グジーさんをTVで見ました。

ジェロさんは、お祖母さんが日本人なので、
正確にはクォーターですが、上手な日本語で、
きれいな声で演歌を歌い、プロモーションビデオでは、
ヒップホップを踊っていらっしゃいました。

演歌とヒップホップがこんなにもマッチするとは・・・!!

「徹子の部屋」で、流暢な日本語を聞くと、
敬語もとても上手に使っていらっしゃいますし、外国人が日本語
を話す時の独特の訛りはまったくなくて、耳で聞いていたら、
普通の演歌歌手がゲストなのかと思うほどでした。

演歌は、日本独特の歌だと言われているけれど、
歌詞で歌われている世界観は、万国共通の、人間としての
感情なのだから、共鳴して歌えると言う様なことを
おっしゃっていて、私はすっかりジェロさんのファンになりました!!

ウクライナのナターシャさんは、日本語検定で1級を取ったと
いうことで、これまた上手な日本語で、敬語ももちろん完璧でした。

生粋の日本人でも、敬語を使えない人が大勢いるのは、
本当に恥ずかしいことだと思います。

相手を敬う気持ちがあれば、自然に敬語になるのであって、
とってつけたようにしか敬語を話せないと言うのは、心が貧しいと
思います。

親子、兄弟、夫婦、友達の間でも、お互いを尊敬し合っていれば、
決してぞんざいな言葉にはならないはずで、日本語の美しさも
敬語があるからこそ成り立っている部分が大きいと思います。

ナターシャさんも、日本語で、日本の歌を、感情を込めて、美しい
バンデゥーラの伴奏にのせて、きれいな声で歌ってくださいました。

日本人も、イタリア語や、ドイツ語や、英語で歌うことは多いですが、
ちゃんと、歌詞の本当の深い感情をわかって歌っているのかと
聞かれると、疑問符が付きます。

テクニックでうまく歌おうとするのではなく、美声を聞かせようと
するのではなく、歌の心を伝えようとするのは、万国共通の
歌に対する想いなのですね。


【2008/04/10 22:22 】 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)
新学期
いよいよ新学年の新学期となりました。

春期講習も、連日長時間でしたのに、みんなよく頑張ってくださいました。

こうした努力の積み重ねが、きっと良い結果をもたらしてくれるだろうと
思います。

春期講習は、本当は一番伸びるチャンスなのですが、冬休みよりは
長いといっても、なかなかまとまってたくさん時間が取れないので、
少人数の方にしか提供出来ず、残念でした。

夏休みは、多くの方を対象に、学力のレベルアップをはかるプログラム
を作成したいと考えております。

最近、フィンランド・メソッドの本が書店にたくさん並んでいますが、
流行やブームとしてフィンランドのやり方を取り入れるのではなく、
その国や、環境、人に合ったやり方で勉強を教えるのが一番良いと
思います。

もちろん良いところを、積極的に取り入れることは大賛成ですが。

濱田メソッドというのも、実はあるのです。

長年培ってきたノーハウももちろんですが、たくさんの生徒さんの
学習記録のデータがあり、それを分析して、濱田塾独自のオリジナル
メソッドが出来上がっています。
それは、おしきせのマニュアルではありません。

どうすれば、勉強が楽しく、苦手なものではなくなるか…ということを
生徒さん一人一人の状況に応じて考え、ほとんど一日の大半を
費やして、毎日の学習計画書を作るところから始まります。

「物づくり」と同じです。
細かい作業、丹念な準備が、大きな成果につながります。

そういう意味では、職人です。

また明日から、新学年のスタートとともに、みんなと頑張ろうと
思います。
【2008/04/08 00:37 】 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)
今年は、三月に寒い時期が続き、やっと夙川の桜も満開になりました。

夙川の桜は全国でも有名で、さくら夙川駅とJRが名付けただけあって、
この時期にお花見に訪れる人で、川沿いの道は心斎橋かと見紛うほどの混雑、
違法駐車、渋滞・・・毎日の宴会で、BGMはうるさい上、嬌声はあがるし、
近隣の住民にとっては、迷惑以外のなにものでもありません。

いつからお花見は宴会になったの?と聞かれますが、平安朝の昔から、
お花見、お月見・・・などの折には、「遊び」と称する管弦の催し、宴があったそうなので、
宴会は仕方がないのかもしれませんが、昔と違って、住宅街には、普段どおりの毎日の
生活を営んでいる人がたくさんいるのですから、自分達が楽しければ何をしてもいいと
言うようなお花見のあり方には、疑問があります。

お手洗いを貸して欲しいとピンポンを押されたり、ごみや空き缶を庭に投げ込まれたり
することもあります。

兼好法師が「花は盛りに、月は隈なきを見るものかは」と言っていますが、本居宣長は、
それは造り雅であると反論しています。

昭和・平成を生きる凡庸な私は、桜の満開もきれいだと思いますし、つぼみの頃も風情
があると思います。

日本には、古典文学における美意識の主流は、もののあはれ・幽玄・わび・さびという、
いわば「余情」を重んじるものにあるようですが、色彩のバリエーションの多さは、
十二単を見るだけでもわかります。

先日、山本寛斎さんが、虎屋の羊羹をプロデュースなさって、それは、萌黄とか、蘇芳とか、
あさぎとか、にびいろとか・・・平安朝の襲の色目が多様なことから思いついて、日本独自の
伝統の色はこんなにもきれいだったのだから、羊羹に再現してみようという意図のようです。

TVで見ただけですが、玉手箱を開けたかのようにきれいな羊羹でした。

桜も、もっと風流に、品よく眺めないと、せっかくの美しさが半減してしまします。

お花を愛でる心を失って、ただのイベントと化しているだけのようで、心が痛む季節です。

桜


桜2


桜3
【2008/04/05 15:00 】 | 日記 | トラックバック(0)
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