先日TVで、「市川海老蔵 名門に生まれて」という番組を見ました。 江戸歌舞伎の創始者と言われる、成田屋・市川団十郎を代々継いでいくのは、名門の御曹司ゆえの苦労も、並大抵ではないでしょう…と、興味本位で見始めました。 ところが、番組が進むにつれて、現代人にも歌舞伎を身近な娯楽にしてもらおうとする海老蔵の考えや苦悩と、それに対する父団十郎の、伝統を守ろうとする姿勢は、一般家庭の親子が対面する葛藤と共通するものがあると思いました。
何事も、新しいものを打ちたてようとすると、まずは、既存のものを壊すことから始めなければなりません。 子供の成長の過程でも、まずは自我が出てきて、親に反抗するわけですが、それは、親の考えが正しいとか正しくないとかに関わらず、自分の前に立ちはだかる壁として、親に反抗することで、その壁を乗り越えようとするのです。
ところが、団十郎が言うように、伝統は、色々な先人達が、経験や努力を積み重ねて築き上げてきたものなので、良いと思われる点だけが受け継がれてくるわけですし、何百年と脈々と受け継がれてきたからには、その理由があるはずなのです。 思いつきだけで、何かを変えようとしても、伝統とは、そんな脆弱なものではないというわけです。
親子の葛藤も同じ事で、子供は親の背中を見て育ち、それを乗り越えようともがくけれども、 その親も、同じように、若かりし時に、自分の親を乗り越えようとして努力し、良い点を受け継いで子供に教えようとしているので、結局は、同じ価値観を受け継いでいくようになると思うのです。
すべてを壊して、全く新しいものを造りあげることは、なかなか不可能なことで、新しいと思うことをやってみると、実は、何百年も前に、先人がすでに考えていたことだったり・・・。
古典と呼ばれるものが、音楽でも、文学でも、案外新しいものの原型だったりするのです。
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