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先週の金曜日は、大雨で、うっとうしく、重苦しい一日でした。

ところが、夕方になって、突然雨がやみ、空にはきれいな虹がかかりました。

以前書いていたブログにも、車の中から見た、きれいな虹の写真を載せましたが、最近、西宮では、よく虹を見かけます。

虹を見ると、何かとても心豊かな気分になり、明るい未来があるような気がします。

四葉のクローバーを見つけた時も、何か幸せな気分になります。

虹や、四葉のクローバーは、科学的に説明されれば、特別不思議でもなければ、特別珍しいことではないのかもしれません。

でも、そういうことに感動出来なくなっては、人間の心は潤いがなくなってしまうと思います。

おとぎ話というのは、昔は子供時代に、みんな聞いたり読んだりしたものです。

最近の子供達が読む絵本や童話は、今の時代に合った新しいスタイルで書かれているものも多くありますが、現実にはありそうもないような、いわゆる昔からあるおとぎ話も、是非子供の柔軟な感性のあるうちに読んで欲しいと思います。

夢を持てない大人にならないためにも…。20070529225132.jpg

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【2007/05/29 22:52 】 | 随筆 | コメント(0) | トラックバック(0)
プロのコーチング
日曜日に、「題名のない音楽会」で、プロのピアニストになる方法を、中村紘子さんが説明していました。

今は、空前のクラシック音楽ブームで、プロの音楽家を目指している人はたくさんいるものの、実際にプロになれる人の数は、やはり一握りのようです。

その中で、プロのピアニストになれる三か条を、中村紘子さんが教えてくれました。

①環境…臨界点というのがあって、プロのピアニストになるには、2歳がそのポイントなので、小さい時から、環境を整えなくてはならない。

②イマジネーションを育てる…これは、好奇心を持って、何事にもチャレンジしてみるということ。感性や表現力を磨くということである。

③体力を鍛える…プロの演奏家は、実際にステージに立つだけではなく、普段から何時間にも及ぶ、厳しい練習をしなくてはならないので、それに耐え得る体力をつけるという意味。

以上だそうです。

これは、ピアニストに限らず、どの世界にも当てはまることだと思います。その道の、一流のプロフェッショナルになるためには、「~~馬鹿」と呼ばれるような、偏った知識や世界しか知らないような生き方をしていては、人間として「本物」にはなれません。

私達は、一応、勉強を教えることのプロです。

どのようにしたら、その生徒さんの能力を、最大限に引き出せるかのコツを知っています。

幸い、勉強することに、臨界点はありません。
どの時期に始めても、必ず成果は上がります。

教えることは、自分を磨くことの鏡でもありますから、これからも、自分の内面を豊かにして、少しでも多くの方に、勉強する楽しみや、理解することの喜びを知っていただこうと思っています。
【2007/05/22 21:15 】 | 随筆 | コメント(0) | トラックバック(0)
まわり道のすすめ
五月も半ばを過ぎ、学生さんたちは、新しい学校や学年にも慣れ、中学生や高校生は、一学期の中間テストも始まったことと思います。

どんどん新しい勉強が進み、授業についていける人と、そうでない人の差が出てくるのも、この時期からだと思います。

人生では、つまづいた時に、一からやり直そうと思っても、実際にはなかなか、つまづいた時点まで戻ってやり直すのは大変です。

学生時代というのは、小学校一年生から、たとえ大学四年生まで学んだとしても、たかだか16年のことなのです。

勉強で、わからないことが出てきた時、一番基礎に戻ってやり直す時間は、本当はたっぷりあるのです。

急がば回れという格言がありますが、最初は他の人に遅れてしまうと焦っても、ちょっと恥ずかしいと思っても、どこの時点でわからなくなったかを考え、そこに戻って学習すれば、案外わかるようになるものです。

取り返しのつかない学習の遅れというのは、本当はありません。

必ずわかるようになるのですから、思い切って小学生の勉強にまで戻って学習し直す勇気が、時には必要だと思います。
【2007/05/20 15:28 】 | 随筆 | コメント(0) | トラックバック(0)
秘境の現状
所用があったので、ゴールデンウイークを利用して、徳島に行き、ついでに足を延ばして、大歩危・小歩危に行ってきました。
 
地下駐車場まである、ラピテという施設もあり、ご他聞にもれず、観光名所として人工的なものが加えられていました。自然は素晴らしく雄大で、その絶景に見入ることは出来ましたが、整備され尽くした感は否めず、少し残念な気がしました。

そして、いよいよ、日本三大秘境の一つと言われる、祖谷のかずら橋に行ってみて、そのあまりの俗化ぶりに、唖然、愕然として、失望しました。

秘境のたたずまいはどこにもなく、観光みやげを売る大きなコンクリートの建物を通らないことには、かずら橋には行けないような仕組みになっているのです。

その建物も込み合っていましたが、坂を下って、橋を渡る手前は、万博の日立館に並ぶより過酷なような長蛇の列です。
みんな、疲労の色をにじませながら、それでも並んでいました。

今の日本で、秘境と呼ばれるような所は、もうないのだと思います。

旅行のガイドブックに載り、テレビで放送される所のどこが秘境でしょうか…。

筑摩書房の現代文の教科書に掲載されている、今福龍太氏の「ファンタジー・ワールドの誕生」という文章の中に、「食人族ツアー」と銘打って、未開の文化に触れられるという旅そのものが、すでに文明によって
プロデュースされたものであるという意味のことが書いてありましたが、結局、メディアに触れた時点で、秘境でもなんでもなくなってしまうのです。

観光地として、生活もかかっているのですから、秘境を秘境のまま保存することは、成り立っていかないことなのですね。

淋しいことですが、仕方のないことなのかもしれません。
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【2007/05/04 23:21 】 | 随筆 | コメント(0) | トラックバック(0)
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