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本当の読書家とは…
10/27~11/9の二週間が読書週間です。

「若者の本離れ」が問題となって久しいですが、私が行く本屋さんには、いつも人があふれかえっています。

雑誌やコミックだけでなく、小説に手を伸ばしている人も多く見かけます。

電車やバスの中でも、病院の待合室などでも、本を読んでいる人がたくさんいらっしゃいます。
まだまだ読書好きの人は多いと安心します。

先日、朝日新聞に、何度引っ越しても持って行きたい“長年連れ添った”本に、生涯どれだけ出会えたか、またそんな関係にまで育ててこられたかが、人生の豊かさを左右すると思えるというような記事が載っていました。

本当にそのとおりだと、我が意を得たりという気がしました。

私も、どうしても手放せない本が10冊余りあります。

幼かった頃に感銘を受けた本は、大人になってからも、また新たな感動を与えてくれます。
学生時代にのめりこんだ本も、私の考え方の基礎を作ってくれたので、読み返すと今でも心のより所になります。

最近出会った本の中にも、何度も読み返すくらい気に入ったものがあります。

多読でも、乱読でも、心に残る本は、それほど多くないと思います。

ほんの数冊の本しか手元になくても、心の中に大きな財産として残るような本の読み方が出来る人が、真の読書家だと思います。
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【2006/10/25 21:08 】 | 随筆 | コメント(0) | トラックバック(0)
作られたブームになって欲しくない…「のだめカンタービレ」
昨今、クラシック音楽がブームで、モーツアルトの音楽が、アルファ波を出して、リラックス効果があるとか、癒しの作用があるとか…集中する時に聴くとよい音楽や、午後に聴く音楽など色々なCDが出ています。  

CD屋さんや、CDレンタルショップなどでも、クラシックの在庫を増やしたり、目立つ位置にレイアウトを変えたりしています。

クラシック音楽がとっつきにくくて苦手だという若い人たちに、このブームの火付け役的な役割を果たしたのが、漫画の「のだめカンタービレ」だと言うことです。

原作がコミックである作品は、ある程度のヒットが見込めるというわけで、TVドラマ化が流行っていますが、ご他聞にもれず、今秋のドラマに登場しました。

確かに、本格的なオーケストラシーンや、ピアノやバイオリンを弾く場面で、本物のクラシックの名曲が流れるので、有名な楽曲紹介にはなっていると思います。

漫画やテレビの影響力はとても大きいので、今までも、ブームの仕掛け人がいて、作られた人気が一時的に上昇した物が多数あります。

私は、音楽はどんなジャンルのものでも好きです。
クラシックも大好きです。
難しいもの、堅苦しいものだと思っている人達が、クラシック音楽をもっと身近なものに感じてくれるようになれば嬉しいなと思っています。

音楽に限らず、古典と呼ばれるものは、素晴らしい何かがあって、洋を問わず、時代を経て受け継がれてきたのですから、歴史を生きる我々も、次の時代に引き継いでいかなくてはなりません。
 
第18回高松宮殿下記念世界文化賞での、常陸宮殿下のお言葉の中に、「混迷する世界情勢の中で、芸術の持つ力は、人々の共通の言語として、相互理解の源でもあります。」とありましたが、音楽に限らず、
文化、芸術というものは、世界を結ぶ力を持っていると思うので、絶やすことなく次世代に渡していきたいと思います。

「のだめカンタービレ」が、単なる一時的なブームで終わらず、クラシック音楽人口の裾野を広げてくれることを願っています。
【2006/10/20 00:21 】 | 随筆 | コメント(0) | トラックバック(0)
実るほど頭を垂れる稲穂かな
先日、注文した食材の宅配便の中に、稲穂がひとつ入っていました。
ひとめぼれの稲穂で、生産者の斎藤さんからのプレゼントでした。

「お客様に黄金色の稲穂を見てもらいたいなぁ。秋を感じてもらって、お米を食べる時にこのきれいな稲穂を見てもらえれば幸せです。ぜひお子様にもみてもらいたいですね。」というメッセージが添えられていました。

今年は天候のせいで、例年より米の収穫高は少ないそうです。
写真を添付しますので、是非この稲穂をご覧下さい。
実がつまった、とてもきれいな稲穂です。

稲穂を見て、生産者の方々のご苦労を考えると、こうしておいしいお米を食べられることへの感謝の念が、自然にわきあがってきます。

それと同時に、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という句が思い出され、常に謙虚でなければいけないという戒めを思い起こして、身がきりりと引き締まりました。

どの分野でも、活躍されている方ほど謙虚で、偉ぶったところが微塵もありません。それどころか、常に人のアドバイスを受け入れる、度量の大きさがあります。

私達も、こういう仕事をさせて頂いているからこそ、常に謙虚で、何事も勉強して、自分の引き出しを豊かにしておかなければなりません。
からっぽの人間では、何かを伝えることは出来ないからです。

送っていただいた稲穂は、文字通り“座右の銘”にすべく、机の上に飾っています。


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【2006/10/18 19:10 】 | 随筆 | コメント(0) | トラックバック(0)
今週は新聞週間です。
15日から1週間が新聞週間だそうです。

色々なマス・メディアがある中で、新聞の果たす役割は何かとよく議論されています。

パソコンや携帯電話で、ニュースが手軽に見れるからと、新聞を取らない若い世代も多くなりました。

私はインターネットの新聞も好きですし、テレビのニュース番組も好きですが、一番好きなのは、紙の新聞です。

何事も受身でいるのはよくないというのが持論ですが、新聞は受身でいるにもかかわらず、多くの情報を与えてくれるので重宝しています。

ニュースだけを見るのであれば、わざわざ新聞を買わなくてもいいのですが、新聞には、色々な分野の情報が満載なので、読んでいると楽しいのです。

興味を持ったことについて、もっと知りたくなったら、インターネットで情報を得ます。本当に便利な世の中になったものだと思います。

これだけパソコンや携帯電話が普及しても、インターネットやパソコンを頭から否定している人達もいますが、私は「物は使いよう…」だと思います。

情報が乱れ飛んでいるからこそ、自分の頭で考えたり、決断するチャンスがあるわけで、ひとつの情報しか提供されなければ、それを鵜呑みにするしかないわけです。

新聞記事も、「~そうだ」ぐらいに読んで、納得がいかなければ、他のメディアの記事を読んでみればいいのです。

政治、経済、文化、健康、生活、食べ物、娯楽、地域の話題、季節の話題…盛りだくさんの話題を毎日提供し続ける新聞は、よく出来ていると、つくづく感心します。

すべての分野で、最新のものについて書かなければならない上、文章に熟達した人が、簡潔明瞭に記事を書いてくれるので、よく考えれば、これほど面白い読み物はないと思います。

広告欄も含めて、私の愛読書ナンバーワンは、恐らく新聞です!!
【2006/10/16 13:20 】 | 随筆 | コメント(0) | トラックバック(0)
「鉄道の日」に寄せて
昨日、10月14日は「鉄道の日」でした。

1872年10月14日に、初めての鉄道が新橋ー横浜間に開通したのを記念して、「鉄道の日」を制定したそうです。

私の両親は、鉄道が好きでした。

父は、列車の~系に詳しく、小さい頃旅行に連れて行ってもらうと、すれ違う列車の解説を細かくしてくれたものでした。つい最近まで、プレゼントした「電車でGO」で、運転のシミュレーションゲームを楽しんでいました。

母は、蒸気機関車が好きで、ぼーっという汽笛のあと、しゅっしゅっぽっぽと蒸気を吐きながら車輪が動きだすのを見たいとよく言っていました。

私の子供が大の電車好きで、幼い頃から~系に詳しく、一人で阪急電車のスタンプラリーに参加したり、路線駅名などをすぐ覚えたりするのは、私の両親の隔世遺伝なのだとずっと思っていました。

ところが、その列車好きの子供に連れられて電車に乗るうちに、私の中で、ある感覚がパチンとはじけ、実は自分も列車好きであるということを思い出したのです。
「思い出す」とは妙な表現ですが、後天的に目覚めたのではなくて、先天的に列車好きだったということに気付いたのです。

飛行機、船、車…何でも乗り物は好きですが、やはり列車はいいです。

どこがいいのか?と聞かれても、明確な答えは出来ません。
好きとはそういうものですが,しいて言えば、列車の音、揺れ、窓外に広がる景色などが、私の原体験なのだと思います。

もし出来るなら、日本縦断列車の旅や、各大陸横断鉄道に乗っての世界一周をしてみたいというのが、目下の私の夢です。

【2006/10/15 19:51 】 | 随筆 | コメント(0) | トラックバック(0)
元祖チョイ不良(わる)親父の意外なDNA
すっかりブームとなった“チョイ不良(わる)親父”の元祖は、イタリア人のジローラモさんです。  

男性ファッション誌「LEON」のモデルとして起用される時に、チョイ不良(わる)親父のイメージで売り出したので、ジローラモさんが不良だというわけではありません。

どこか不良のにおいがして、危険な香りがするけれど、ちょっといかした中年男というような設定なのだと思います。

作られたイメージが先行していたので、ジローラモさんのインタビュー記事を読んで、私はちょっと考えさせられました。

ジローラモさんは、「私はイタリア人なので、宗教がDNAにあるので、決して浮気は出来ないと思います。」と言っていました。

イタリア人のDNAにあるのは、まちがいなくカトリックなわけで、十戒に「汝、姦淫するなかれ」と書かれているから、そういう罪は犯せないというわけです。

罪という意識が、日本人にどういう風に根付いているのかと、最近よく考えます。
あまりにも残虐な、人の命をなんとも思っていないような事件が、連日ニュースになりますが、その犯罪の根底に罪の意識の欠如があると思うのです。

ちょうど今は、11月15日の七五三参りが各神社で行われていますが、日本人のDNAにある宗教は、神道なのでしょうか?

よく言われるように、神仏混交な上、信教の自由なので、基本的に神社にもお寺にも行くのが大半の日本人です。それを宗教のDNAがあるとは言えない気がします。
  
私達日本人の、古くからのしつけの言いまわしは、「そんなことをしたら罰が当たるからしてはいけない」という教え方で、「そんなことをしたら罪になるからしてはいけない」という教え方とは、根本的に違うと思います。

宗教の問題は、もちろん人それぞれなので、どれがいいとか悪いとか言うつもりは毛頭ないのですが、罪を犯してはいけないという意識を、小さいうちから植えつけないと、犯罪の残虐性が増しているように思えて仕方ありません。  

宗教と言うより、良心の問題、良識の問題ですが、そこが欠落してしまっているのが現代の悲しさです。

堂々と胸を張って、「私には宗教のDNAがあるから、浮気は出来ません」
と言えるジローラモさんは、実は“チョイ不良(わる)”から一番遠い存在の、超真面目親父なのですね!!

写真は、太宰府天満宮と大浦天主堂です。


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【2006/10/14 19:47 】 | 随筆 | コメント(0) | トラックバック(0)
北海道日本ハムファイターズが優勝して…まずは、第1歩を踏み出さないと!
一昨日、セリーグは中日ドラゴンズが優勝し、今日は北海道日本ハムファイターズがパリーグの優勝を決めました。

パリーグのレギュラーシーズン1位のチームがプレーオフでも勝って優勝を決めたのは、現行のプレーオフ制度になって初めてのことです。

日本ハムとしては25年ぶりの優勝で、北海道に移転して3年目にして初めてつかんだ優勝です。

日本ハムは、北海道に移ってから、地域密着型球団として、それまで野球に関心がなかった人達に、1人でも多く球場に足を運んでもらえるよう、並々ならぬ努力をして来たと放送で言っていました。

新庄選手のパフォーマンスも、やりすぎとか、批判も多くありましたが、新庄選手が今日は何をやってくれるのかという興味と期待で、球場に出向いた人も多かったと思います。

今日、スタンドで、「野球の楽しさを教えてくれて有難う」というボードを持った小学生くらいの女の子がいるのを、TVで映していましたが、何もきっかけがなければ、野球というスポーツがどんなに面白いかを、その子は知らないままだったと思います。

何事も、初めてのことにチャレンジするのは、勇気がいります。
ファイターズが優勝でき、ファンの人と一体化してそれを喜べたのも、色々な宣伝活動を地道に続けてきたからこそだと思います。

何か大きなことをする時に、世間の人々全員が納得したり、賛成したりすることは、日本が自由主義国家である以上、あり得ないことです。

愛・地球博の時でも、地球環境にやさしくとうたっているのに、自然を破壊してパビリオンを造っているのはおかしいという人達がいました。

もちろん、それも正論ですが、何かを訴えなければ人にメッセージは伝わりません。

ただ、正論を並べて何もしないよりは、まずやってみて、そこから何か新しい、良いものが生まれないかを試みることが大切だと思います。

写真は、札幌ドームが見える、羊が丘展望台の「少年よ、大志を抱け」のクラーク博士の像です。

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【2006/10/12 23:39 】 | 随筆 | コメント(0) | トラックバック(0)
「群像」60周年記念短編特集を手にとって…
新聞の書評に、「群像」の60周年記念短編特集号は、佳作揃いで読み応えがあると書いてあったので、早速買い求めて、秋の夜長に少しずつ読んでいます。 

「群像」は、純文学の月刊誌です。

私は、小学生の頃に、6歳上の姉が読んでいる新潮文庫や角川文庫や、岩波文庫の後ろについていた本のリストを見て、「いつかは全部読んでみたい!」と思い、中学生になったら、片っ端から読んでリストにチェックを入れて、ちょっぴり背伸びして、大人になった気分を味わったものでした。

当時は、本の数も少なく、文庫本の後ろに載っている、明治以降の文学の有名なものをすべて読んでも、たいした年月はかかりませんでした。

純文学と呼ばれるものは、「文学界」や「群像」「すばる」「新潮」といった文学雑誌に発表され、「オール読み物」には、大衆文学と呼ばれるものが発表されます。

芥川賞が純文学の賞、かたや、直木賞は大衆文学の賞と言うように、
文学に線引きがあることが、私には納得がいきませんでした。

何を純文学と呼ぶのか…私なりの解釈としては、たとえ大衆文学と呼ばれるものでも、そのテーマや主張に普遍性があり、読者が共感できるものであれば、それは文学的価値があると思うのです。

文学でも、音楽でも、演劇でも、何かを表現するものは、難解であってはいけないと私は思います。

難解であることが芸術である…みたいな考え方は、表現というものは、
受け手がいるということを置き去りにした独りよがりの気がします。



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【2006/10/11 22:22 】 | 随筆 | コメント(0) | トラックバック(0)
日本について何を語れるか? NHK「英語でしゃべらナイト」の本を読んで。
あてもなくぶらっと本屋さんに行って、なにげなく手にした雑誌が、NHK「英語でしゃべらナイト」シリーズの、「英語で京都を案内できますか?」というものでした。

数年前、香港の中国人のご夫婦が日本にいらっしゃて、「どこに行きたいですか?」と尋ねたところ、「京都のMIHO MUSEUMに行きたい」とのことでした。彼らは、二人とも建築家なので、みほ美術館の設計者のL・E・ロバートソンが、どういうデザインの建物を建てたのか、実物を是非見たいということでした。

みほ美術館は、正確には信楽の山奥にあります。あたりの景色もそれはそれは美しく、その美術館も、とてもハイセンスで素晴らしいものでした。

彼らは、建物自体に興味があったのですが、中に展示されている物も、もちろん鑑賞します。その時、細かいことを質問されても、私自身に
日本の仏像や、伝統的な美術品に対する知識がなく、英語力の不足というよりは、日本文化の知識の乏しさを痛感しました。

近頃は、京都検定というものができて、より深く京都のことを学べるようになり、多くの受験生がいるようです。
日本文化が、即京都の美というわけではありませんが、明治になるまでは、京都が都だったわけですから、まずは京都のことを知らなければ、
日本文化について語る資格はありません。

この雑誌にざっと目を通してみても、日本語で説明するのさえ、あやふやなことだらけでした。
ましてや、英語で外国からいらした方に何を説明してよいのやら…。

国際人になるためには、まずは自国の文化をよく知ることだと、今更ながらわかりました。

この雑誌で、英語力もついたら、一石二鳥だわ…と虫のいいことを考えながら、ぱらぱらとめくっています。

写真は、清水の舞台、金沢兼六園、名古屋城です。

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【2006/10/09 23:10 】 | 随筆 | コメント(0) | トラックバック(0)
プロ野球 ~今シーズン終章~
スポーツの秋で、阪神地区は秋晴れのスポーツ日和、連休の真ん中ということもあって、今日は運動会の所が多かったのではないでしょうか…。

プロ野球もいよいよ終章になりました。

パリーグのプレーオフは、昨日は西武が勝ち、今日はソフトバンクが勝ち、いよいよ第二ステージ出場の権利を争う最終戦に突入します。

このプレーオフは、今年が三年目になりますが、過去二度とも、レギュラーシーズン1位のチームが勝ったことはなく、2位や3位だったチームが日本シリーズでも勝って日本一になると言う、なんだか釈然としない結末になりました。
もっとも、プレーオフをしても1位のチームがすんなり勝つのであれば、プレーオフは必要ない訳で、別のチームが勝ちあがり、セリーグの優勝チームを、いとも簡単に破って日本一になるのが劇的だと言われればそうなのですが…。

ゼッターランド・ヨーコさんが、どうして1年間130試合余も戦ってきて1位になれなかった者に、敗者復活のチャンスを与えるのか疑問であるとコラムに書いていらっしゃいましたが、そう思っている人はかなりの数にのぼると思います。

セリーグでも、プレーオフを導入するそうですが、プロ野球改革と言うのは、そういう形態をいじるものではなくて、もっと各チームの力が均衡して、手に汗握るような試合を増やすことが大事なのではないでしょうか。

今、セリーグでは、中日のマジックが2という状況です。
優勝したも同然ですが、今は相手チームとの力量の差があり過ぎて、今更負けることなどあり得ない感じです。

そうやって、やっとの思いでマジックを減らして1位でシーズンを終わっても、少し余力を残してシーズンを終わった2位3位チームが日本一になるかもしれないのでは、やはり何か釈然としません。

色々な問題があるのでしょうが、ファンも選手も納得できるような改革をして欲しいと切に願います。

写真は、昨年の阪神優勝の時と、福岡ヤフードームです。
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【2006/10/08 22:30 】 | 随筆 | コメント(0) | トラックバック(0)
自由劇場  劇団四季「壁抜け男~恋するモンマルトル~」を見て
先日、自由劇場で、劇団四季の「壁抜け男」を観劇して来ました。

自由劇場とは、元々は、Theatre-Libreと言い、フランスで、アントワーヌが創設した劇場です。そこを拠点とした自然主義的演劇運動を指すこともあります。

日本では、それを引いて、小山内薫と二代目市川左団次が起こした劇団です。それが、新劇運動の最初です。
小山内薫が築地に、新劇専門劇場を建てたのが築地小劇場です。築地小劇場の創立同人だったのが、今の自由劇場を持つ、劇団四季の浅利慶太氏の父君の、浅利鶴雄氏です。

自由劇場は、とてもレトロな、明治の西欧文化を意識して造られており、前述の新劇の歴史を踏襲したものであると思うと、とても感慨深いです。

私自身は昭和の、しかも戦後生まれですが、自由劇場のロビーやエントランスは、昔の文楽座や、中座、各地の映画館などを懐かしく思い出させてくれます。

写真は、二階ロビーより、エントランスに向かって撮ったものです。
丸い窓から、シャンデリアの明かりが、葡萄畑のように見えるというので、それを撮りました。

そこで今回上演されていたのが、フレンチミュージカルの「壁抜け男」です。
音楽も、お芝居も軽妙洒脱で、「普通の人間、平凡だけれど人生はそういうもの。人生は素敵、人生は最高!」というメッセージが込められています。

色々な障害が人生にはつきもので、それにとらわれていると、何も変わらない。だけど、そういう規制を受けている中で、平凡なようでも、人生を楽しく、素敵と思って生きれば、人生は最高だというメッセージだと、私は受け取っています。

劇場で一緒に歌いましょうと配られた楽譜です。
拡大して頂くと、どういうメロディーか、おおよその見当がつくと思います。
(作曲:ミシェル・ルグラン…「シェルブールの雨傘」の作曲者です。
日本語版台本:浅利慶太)

これからの世代の人々に、胸を張って「人生は最高よ!」と言えるように、私も生きていきたいと思います。
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【2006/10/07 20:07 】 | 随筆 | コメント(0) | トラックバック(0)
お月見
今日は、仲秋の名月で、いわゆる“お月見”をする日です。

あいにく雲が多くて、満月のきれいなのを見れたのは、ほんの束の間のことでした。
でも、お月様が雲の間から顔を出すのを、今か今かと待っているのは、わくわくして楽しく、急いで走っていく雲の合間から顔を出したのを見たら、なんとも言えない風情がありました。

まさに、徒然草の「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。」というくだりを、実感しました。

日本人の伝統的な感性として、一点のかげりもないきれいな満月も素晴らしいし、雨模様で、雲に隠れ気味のお月様を見るのも、また趣深いととらえられます。

自分の中に、そういう美を感じる心があると再認識し、嬉しくなりました。
雲隠れの月

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【2006/10/06 22:19 】 | 随筆 | コメント(0) | トラックバック(0)
芸術の秋
読書の秋、スポーツの秋、芸術の秋…気候が良くなると、何かをしようとする意欲が湧いてくるものです。

「衣食足って礼節を知る」と言いますが、国が治まっていないと、生活することだけで手一杯で、礼節もなく、文化も育ちません。

芸術は、創造するのはもちろん、鑑賞するにも、下地がある程度必要です。
幸い、日本は平和で、文化、芸術の面でも、優れたものが、たくさんあります。

全人格的に優れた人材を育てるためには、塾の仕事に携わる私達の内面的な引き出しを、まず豊かにしておかなければなりません。

ジャンルにとらわれず、色々な分野の素晴らしいものに触れて、心豊かにしようと思っています。
【2006/10/03 14:36 】 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)
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