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塾の力量
早いもので、ついこの間、新学期が始まったと思っていたら、
もうすぐ各学校の期末テストがあり、夏休みを迎えようと
しています。

二期制の学校では、前期中間テストの結果が返ってきました。

成績は、勉強を頑張った結果としてとらえると、点数の良し悪し
に一喜一憂しがちですが、自分が理解できたところと、まだ充分
理解しきれていないところのあぶり出しだと捉えると、これから
やるべきことが、客観的に示されて、良い指標になったことと思います。

生徒さんを塾で教える側から見ると、テストの結果だけにとらわれる
のではなく、出来なかったところを、完全に自分のものにしてから、
次へ進むための、良い教材となります。

勉強は、短期間努力したからといって、すぐに成果が表れるものでは
ありません。そういうものは、まやかしの習熟なので、本当に
こつこつとした、日々の努力が実って実力がつくのは、もっともっと
先になるはずです。

一人一人の習熟の速さの程度は、当然違いますので、その人に合った
方法で、指導していきますが、そこが、教師の腕の見せ所です。


先日、「プロフェッショナル」という番組で、茶師の前田文男さんが、
とてもいいことをおっしゃっていました。

短期間に成果を出せと言われたら、自分にはとても出来なかったかも
しれないが、勉強したり、経験したりする時間を与えてもらったから、
今の自分があるとおっしゃるのです。

お茶も、伸びる目をどれくらい持っているかを、見極めて仕入れ、
その時点で良いお茶でなくても、手をかけることによって、
どれぐらい伸びるのか、その潜在的な力を見抜く必要があるそうです。

自分の問屋に来たお茶は、子供と同じなので、決して見捨てることなく、
色々工夫して、時間をかけ、手をかけて、必ず良いものにして、
世の中に送り出すのだとおっしゃっていました。

そういう意味では、お子様をお預かりする塾も同じで、子供は、必ず
伸びる力を持っているのですから、それを時間がかかっても、最大限
引き出すことが仕事だと自負しております。

人に教えるには、まず、自分自身を更に磨いて、謙虚になって、また
次を目指そうと思っています。

【2008/06/21 23:21 】 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)
英語そろばん
先日、英語そろばんの番組を見ました。

そろばんは、位取りが、英語の数の数え方と同じ
なので、0が4個で桁が上がる、日本式の数の
位取りより、楽に出来るそうです。

日本式の数え方は、どうして、0が4個で桁が
変わるのでしょうか…。

インド式数学も、学校で習う算数よりも、簡単に
暗算できる場合があったり…すべて、
「こう考えなければならない」というように
型や公式に当てはめて教えないで、
○○式と呼ばれなくても、一人一人の
独自のやり方を認めて、生徒の自主的な学習意欲を
高める方法を、私も考え出そうと思っています。
【2008/05/17 19:54 】 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)
「源氏物語」千年紀
今年は、「源氏物語」が書かれてから、千年だそうで、
各地で色々なイベントや講演が行われているようです。

私は、仕事柄、「源氏物語」を教材にして、「古文」を教える
機会がたびたびありますが、読めば読むほど、よく平安時代
に、このような大作が、女性によって書かれたものだと感心
します。

瀬戸内寂聴さんが、世界文化遺産に登録された、日本の
誇る「源氏物語」を、日本人なら誰でも読めるようにと、
現代語訳をお出しになってから、十二年だそうです。

確かに、イギリス人なら、誰でもシェークスピアを知っている
ように、日本人が、「源氏物語」を知っているかというと、
残念ながら、知らない人の方が多い気がします。

日本人は、あまりにも自国の文化に対して無知過ぎると
思います。

日本に憧れ、日本文化に憧れて研究している外国人が
多いのに、日本史さえよく知らない子供も増えています。

もちろん、外国に目を向けなければいけないのも本当ですが、
自国のことをよく知らないままで、外国文化や外国文学を
学ぶのは、ちょっと筋が違う気がします。

「源氏物語」を原文で読むのは、骨が折れますが、実際の
微妙な言葉遣いや、言い回しなど、物語の機微を味わう
には、やはり現代語訳より原文で読むのをおすすめします。
【2008/05/04 23:39 】 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)
NHK「知るを楽しむ」~カラヤン~を見て
私の両親は、無類の音楽好きで、両親の兄弟姉妹も音楽好き
なので、私たち姉妹も、私達姉妹の子供達も、これまた音楽好き
になりました。

私は、音楽なら、クラシックでも、ポップスでも、邦楽でも大体なんでも
好きですが、とりわけオーケストラが好きです。

その原点は、カラヤンの指揮を生で見たことにあります。

自分のお小遣いで買った、最初のLPレコードは
カラヤンの、ベルリンフィルの「運命・未完成」でした。

それ以来、カラヤンの指揮の他の曲は、もちろん大好きですが、
「運命」が大好きになり、色々な指揮者の「運命」を聞き比べて
います。

一番最近に聞いたのは、佐渡裕さんの指揮で、兵庫芸術センターの
定期演奏会でした。

♪「ジャジャジャジャ~ン」というあの始まりは、あまりにも有名で、
色々にデフォルメされ、本当の「運命」の良さが、伝わりにくく
なってしまっているのが残念です。

♪「ジャ~ジャジャジャジャジャ~ジャジャジャジャ・・・」と始まる
アンドリュー・ロイド・ウェバーの「オペラ座の怪人」も、始まりの
部分だけが、様々にデフォルメされて、独り歩きしてしまって
いますが、ミュージカル「オペラ座の怪人」の中の曲は、どれも
珠玉の名曲揃いで、「運命」や、「オペラ座の怪人」が、お笑いの
コントなどに使われると、ファンとしてはがっかりしてしまいます。

話がそれましたが、カラヤンは、オーケストラをレコードに収める
ことを、最初に精力的にやった人だそうです。

考えてみると、音楽は、演劇と同じで、その時その時で、お客さんの
反応や、ホールの設備、演奏者の状態などに大きく左右されるもので、
それこそが、生で鑑賞する醍醐味なのですが、広くたくさんの人に
安定した演奏を聴いてもらうには、レコードやCDに録音するのが
より良い方法な訳です。

今では、パソコンで、ダウンロードできるようになったわけですから、
録音された音楽を鑑賞するというのも、音楽鑑賞の一つの道です。

指揮者の表情は、本来は、オーケストラに向いているため、客席
からは見えないものですし、指揮された音楽を聴きに行っている
わけですから、指揮者の七変化みたいな表情に関心が行くのは
邪道だと思いますが、レコードよりさらに進んで、TVカメラに写される
と、指揮者の、まるで役者のような顔や身体の表情がUPになるので、
別の楽しみ方が出来ます。

カラヤンは、私の勝手な思い込みで、実に冷静沈着に、紳士的な
指揮振りだったと思っていましたが、映像に残っているドキュメント
では、実に様々な表情で、情熱的にタクトを振っていらっしゃいました。

情熱的と言えば、佐渡裕さんも、汗をしたたらせて、台の上で
飛び上がって指揮をなさいますし、大阪フィルの、大植英治さんも、
まるで役者さんのお芝居をみているかのような表情や身振りで、
音楽より指揮者に目がいってしまいます。

それが、オーケストラを聴くことの邪道と言われれば、そうかも
しれませんが…。

こういう事を書いていたら、またコンサートに行きたくなって来ました。

やはり、情熱的な佐渡さんや大植さんの指揮のチケットは、即完売
になるそうです。

【2008/04/16 13:39 】 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)
日本人の心
今話題の、黒人の演歌歌手、ジェロさんと、
ウクライナのバンデゥーラ奏者で歌手の、
ナターシャ・グジーさんをTVで見ました。

ジェロさんは、お祖母さんが日本人なので、
正確にはクォーターですが、上手な日本語で、
きれいな声で演歌を歌い、プロモーションビデオでは、
ヒップホップを踊っていらっしゃいました。

演歌とヒップホップがこんなにもマッチするとは・・・!!

「徹子の部屋」で、流暢な日本語を聞くと、
敬語もとても上手に使っていらっしゃいますし、外国人が日本語
を話す時の独特の訛りはまったくなくて、耳で聞いていたら、
普通の演歌歌手がゲストなのかと思うほどでした。

演歌は、日本独特の歌だと言われているけれど、
歌詞で歌われている世界観は、万国共通の、人間としての
感情なのだから、共鳴して歌えると言う様なことを
おっしゃっていて、私はすっかりジェロさんのファンになりました!!

ウクライナのナターシャさんは、日本語検定で1級を取ったと
いうことで、これまた上手な日本語で、敬語ももちろん完璧でした。

生粋の日本人でも、敬語を使えない人が大勢いるのは、
本当に恥ずかしいことだと思います。

相手を敬う気持ちがあれば、自然に敬語になるのであって、
とってつけたようにしか敬語を話せないと言うのは、心が貧しいと
思います。

親子、兄弟、夫婦、友達の間でも、お互いを尊敬し合っていれば、
決してぞんざいな言葉にはならないはずで、日本語の美しさも
敬語があるからこそ成り立っている部分が大きいと思います。

ナターシャさんも、日本語で、日本の歌を、感情を込めて、美しい
バンデゥーラの伴奏にのせて、きれいな声で歌ってくださいました。

日本人も、イタリア語や、ドイツ語や、英語で歌うことは多いですが、
ちゃんと、歌詞の本当の深い感情をわかって歌っているのかと
聞かれると、疑問符が付きます。

テクニックでうまく歌おうとするのではなく、美声を聞かせようと
するのではなく、歌の心を伝えようとするのは、万国共通の
歌に対する想いなのですね。


【2008/04/10 22:22 】 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)
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